真宗大谷派 長嚴寺
長嚴寺について
 當寺は、京都市東本願寺(真宗本廟)を本山とする真宗大谷派に所属する寺院であります。
宗旨は浄土真宗で、宗祖は親鸞聖人であります。浄土真宗本願寺派の本山西本願寺とは、元々、本願寺教団として一体でありました。日本史の上では戦国時代の激動が終息し、豊臣時代から徳川時代に移行する頃、当時の諸事情により東西本願寺に分裂しました。江戸時代が始まり、幕府は江戸を大きくする為、国内の移民政策をとり全国から商業、工業、農業に携わる大勢の人々を江戸市中内に移住させて来ました。併せて幕府は、江戸市中に寺院を建てることを推奨しました。特に、東本願寺は徳川家康の寄進によってできた教団であることも影響して、現在も大谷派寺院には、江戸時代初期に出来た寺院が都内にかなり有ります。関東の特に茨城県には、親鸞聖人が40歳頃から60歳過ぎまでおられて布教活動をされましたことで、そのご縁から800年近い歴史ある真宗寺院が多数あります。
 當寺は、寛永三年(1626年)市谷田町に創立されましたが、江戸城拡張の為に寛永十一年(1634年)現在地に移転したと寺伝にあります。開基(初代)は釈春清(愛知県出身)です。移転に伴い、代替地は幕府からの拝領地です。創建以来、當寺は、関東大震災や東京大空襲に幸いにも被災を免れたことで、江戸時代の本堂はそのままでした。然し、老朽化が進んだことで昭和62年には16代住職、釈 正澂が本堂と客殿を再建しました。又、平成9年には、寺務所兼庫裡も再建し、現在に至っております。作今、大都市東京は一般的に墓地不足であり近年そうした状況を背景に、さまざまな形(大きなビル形式の納骨堂)や永代供養墓が、社会の要望に答える為に企画されております。当院も従来の屋外(戸別)墓地と併せて、屋内(本堂階下、半地下)に納骨堂を設営しておりますことをこの場を借りてお知らせ致します。 (ご見学自由)

宗教法人 真言大谷派 長厳寺
住職  本多 慧行

本堂正面
長嚴寺 本尊 阿弥陀如来立像 (寺伝 江戸時代中期作)
【長嚴寺の概要】
宗旨は浄土真宗です
本尊阿弥陀如来
正依の経典仏説無量寿経(大経)
仏説観無量寿経(観経)
仏説阿弥陀経(小経)
宗祖親鸞聖人
宗派名真宗大谷派
本山真宗本廟(東本願寺)
所在地京都市下京区烏丸通七条上る常葉町754番地



【定例行事表(年間)】
修正会1月1日~1月3日
春季彼岸会春の中日(春分の日)を中心として前後3日の7日間
※彼岸法要(中日)午前11時~
盂蘭盆会7月13日~16日
「お盆の集い」7月15日午前11時
秋季彼岸会秋の中日(秋分の日)を中心として前後3日の7日間
※彼岸法要(中日)午前11時~
報恩講10月最終、土日の2日間
才末勤行12月31日夕方5時



【施設一覧】
書院

ご法事やご葬儀の際に控室、お斎(会食)の接待場所としてご利用いただけます
仏間

ご葬儀の折にご遺体のご安置も可能です
本堂内陣 天井画


寛永3年(1626年)市ヶ谷田町に創立本尊 阿弥陀如来立像
開基は三河出身 釈春清
寛永11年(1634年)現在地(市ヶ谷薬王寺町)に移転
境内地は元古跡拝領地270坪

※寛永8年(1631年)より以前に創立され、江戸幕府より与えられた土地の名称。
本山は京都東本願寺(真宗大谷派)
本尊阿弥陀如来立像は、伝 江戸中期作
昭和62年 本堂客殿再建
平成9年 寺務所 兼 庫裡再建
平成13年 本堂隣接の新設墓苑を開設
長嚴寺 屋内納骨堂
1区画:50万円

寸法:幅50cm×奥行40cm×高さ43cm

年間管理費:なし

骨壺:2体収蔵

※年間維持管理費不要


1区画:90万円

寸法:幅50cm×奥行60cm×高さ200cm

年間管理費:18,000円

※上部お仏壇、下部収蔵部(御本尊・仏具一式共)
長嚴寺墓苑
長嚴寺墓苑
長嚴寺総墓(共同使用の永代供養墓)
一体 30万円

◎やすらぎ廟の納骨室(地下)にてご遺骨を永久に保管いたします

※年間維持管理費不要
アクセス
長嚴寺 アクセス
【電車】◆都営大江戸線「牛込柳町駅」東口出口より、徒歩約5分 ◆都営新宿線「曙橋駅」A3出口より、徒歩約8分  【バス】◆都バス[新宿西口]↔[練馬車庫]「薬王寺町」バス停より、徒歩約3分
宗教法人真宗大谷派 長嚴寺(ちょうごんじ)
〒162-0063 東京都新宿区市ヶ谷薬王寺町25番地
TEL:03-3341-4997